夢だけど、夢じゃなかった。
今年の2月に、じいちゃんが亡くなった。
89歳の大往生で、昔からやりたい放題の暴れん坊将軍だったようで、ばあちゃんやお父さんを始め周りの人たちはマジで大変だったらしいけど、私たち孫には優しいを通り越して超激甘。
時々ばあちゃん達が漏らす愚痴や嫌味すらも他人事として聞き流せばただの笑い話で、聞けば聞くほど
(なんだ、ただの最高のジジイじゃねえか。)
と思うだけだった。
だけど、そんなじいちゃんの事を、私は特に大事にしていたわけではなかった。
一緒に住んでいる時にはもちろん意識すらしていなかった。
家を出てからは滅多に帰省することなんてなかったし、何年かに1度、敬老の日に気まぐれに何かを贈った事もあったけれど、誕生日を祝ったりした記憶はあんまり無い。
誕生日どころか、入院したってお見舞いにも行かなかった。
どうして行かなかったのか。そんなの理由なんてない。なんというか...そうだなぁ...単純に先送りにしていただけ、かな。
いつか退院すると思っていたし、もっと極端な事を言えば、じいちゃんは死なないと思っていた。無意識に。無意識だから、実際はそんな風に思うことすらなかったけど。
昔から意識して何かをすることが出来なかった。イベントや何かがあった時だけもっともらしい行動をするなんて恥ずかしくて、とてつもなく後ろめたかった。
だから、連絡をもらって病院へ駆けつけた時ですらじいちゃんに声のひとつも掛けられなかった。涙は溢れて止められなかったけれど、言葉なんか出てくるはずがない。
最後まで私、なんにもしてあげなかったな。
もう大人なのに、いつまでもこんな自意識にかられて身動きが取れなくなっていたのは、あの場の中ではきっと私だけだったね。
そんなどうしようもない私のことを、じいちゃんはどう思ってるんだろう。
つい2日前、夢で会ったの。じいちゃんに。
夢占いなんかでは、亡くなったじいちゃんが出てくるとどういう意味があるんだとか、吉夢だの警告夢だの、なんだか色々あるみたいだけれど、どれにも当てはまらない気がして調べるのは途中でやめた。
死んだはずのじいちゃんのお見舞いに行った夢を見た。
夢らしく病院はじいちゃんが入院していたところとはまったく別のところだった。
階段を駆け上がった先には両親と妹がいて、私の慌て様からしてお見舞いというよりは、あの時みたいに連絡をもらって駆けつけた状況だったのかもしれないけど、両親や妹は落ち着いていて呑気に談笑までしていた。
そんな家族と話すより先に、走ってそのまま病室へ飛び込むと、ベッドに横向きに腰掛けているじいちゃんがいた。
暗くて顔はよく見えなかったけれど、あれは確かにじいちゃんだった。
「じいちゃん今ごはん食べてるからこっちに来なさい。」
と、母に声を掛けられて外に出た...ところくらいまでしか憶えていないけれど、目が覚めてからずっと考えている。じいちゃんの事を。
不思議な夢だったなあ。
だって、夢の中でじいちゃんが食べていたのは病院食じゃなくって、皮付きの丸ままのりんごとバナナだったんだよ。
(あ、御供え...)
思い出すとまた笑ってしまう。
仏壇に御供えしているであろうりんごとバナナを、じいちゃんがちゃんと食べていたからなんだか可笑しくて。
(仏様って本当に食べるんだ...!)
そんなの見ちゃったらさ、まぁ見たって言っても夢なんだけど、嬉しくて、ワクワクして、あれからずっと落ち着かないんだ。変だな。
じいちゃん、どうして私のところに出てきたんだろう。何か言いたいことでもあったのかな。それとも別に理由なんてないのかな。
よくわかんないや。うん、よくわかんない。
よくわかんないけど、じいちゃん。
今度さ、黒棒買って帰るよ。
好きでしょ、黒棒。一緒に食べよ。
私がおばさんになったら
2017年、春。
私もいよいよ本当におばさんになってしまった。
肩凝り、腰痛、少し動けば動悸・息切れ(べっ…別に太ってるからとかじゃないんだからねっ!)。寝ても寝ても取れない疲れ、水分も油分も抜け切ったカサカサな肌。
もうこれはまさしく完全に「老い」。
いつの間にか31歳。月日めちゃくちゃ流れてる。こわい。
10年前の今頃は、バイトを掛け持ちしてたり、朝まで遊んでスキンケアをサボったってファンデーションはちゃんとノッてくれたし、体重だって今より15kgは軽かった。
は?嘘じゃねぇし。
10年も経てば色々ある。私が結婚をし離婚をして、仕事をいくつも変え、1人暮らしをはじめたり、持病の再発で東京の病院に年に数回通うようになったり、なんやかんやしている間に気づけば弟がしれっと結婚して。
弟を含め、家族とは正直あんまり仲良くなく、普段から連絡しあうこともなくて、弟が結婚するときですら直接報告されないまま後になって母づてに聞かされるくらいの関係性でしかない。まぁだけど弟が結婚したということで、つまり私に「顔も名前も知らない妹」ができたわけで。変なの。そしてなんとこの度、2人の間に娘が産まれてついに私も伯母さんデビュー。
しかしあれかね、姪っていうのはこんなにも可愛いもんかね。
大して仲良くもない弟と知らない間に出来てた義妹の娘。こんな関係性で大丈夫か、と、産まれる前はいらぬ心配をして勝手に不安になって泣いた夜もあったけれども、そんなことはもう忘れた。全然大丈夫だった。私の遺伝子には、ちゃんと彼女を愛するよう書き込まれていた。
LINEで送られてきた産まれたばかりの赤ちゃんの写真を見たら涙が出た。とにかく愛おしすぎて、どういう感情なのかは自分でもよくわからないけれど。
彼女が産まれて10日が経った昨日、相変わらずなんにも言ってこない弟に私から連絡した。
名前が決まったことも報告してもらえなかったけれど、そんな弟のことはもういい。いちいち憤慨するのもいいかげん飽きてきたし。
そんなことよりもいま私は彼女に夢中でね。
名前は母に聞いた。そしたらついでにお風呂に入れられている写真まで送ってくれた。
名前がついた彼女は必要以上に可愛い。
頭ちっちゃ!弟の手のひらくらいしかない!お湯に浸かったらあんなに気持ちよさそうな顔すんのか!赤ん坊のくせに!生意気!!可愛いっ!!!って、興奮しすぎて母乳が出るかと思った。いや、確かに出た。子ども産んだことないのに。
彼女にいつでもプレゼントが届くように、弟から住所を聞き出して彼女の他の写真も送るよう催促した。後で送るからって言ってまだ届いてないけど。なんか「一眼で撮ってるから」だってさ。気が利くな!
今度東京に行ったら、お菓子と可愛いスタイでも買って送ってあげよう。彼女のママにもめちゃくちゃ優しくしよう。「いつでも会いに来てね」って言ってもらえるように。あと、ついでに弟にも優しくしよう。子供の頃、後ろをチョコチョコついて来るのが鬱陶しくて「かくれんぼしよう」って言って撒いたりしてごめん。どうせ数なんか数えられないってお菓子をキッチリ半分こにしなくてごめん。その他もろもろ本当にごめん!どうか許して、そして、写真も動画もとにかくたくさん送ってほしい。彼女の成長をずっと見守らせてほしい、私にも。
これから楽しみしかないわ。
おばさんって最高かよ。
本当の本当は。
最後に更新してから、もう11ヶ月も過ぎてしまった。
毎日があっという間で、そうなると1週間も1ヶ月も1年だって当たり前に過ぎ去っていくのに、私はいつもそれを忘れる。そのせいで何度も後悔をする羽目になるのに。
去年の年末に泣きながら書いた記事を読み返してみたら、なんだか笑えてきた。
年末なんて嫌いだと、お正月なんて来なくていいとめちゃくちゃに駄々をこねていた。
30歳を目前にして。
自分の精神年齢が高いだなんて思ったことは1mmもないけれど、さすがにこれは。自分でも呆れ返るけれど、でもまぎれもない、私だ。
あのとき、彼が隣にいないことが嫌だったわけじゃない。
彼が、ほかの誰かといることが死ぬほど苦しかった。
こんなことが去年は言えなかったな。本当の本当のことは絶対に言えなかった。
でもそのときにいかにも本音を装って書いていたことのほうがよっぽどかっこ悪いよって今ならわかるのに。
だけど。そんなくそダサい1年前の私よ、よく聞きなさい。
今日はそんなお前に朗報を持ってきました。
2016年の年末は一緒だ。
信じられないだろうけど、クリスマスも一緒なんだ。付き合って4年目になるけれど、初めてなんだよね。東京に行くまでは絶対に叶わないと思ってたけれど、今、私はクリスマスイブに2人で食べるケーキを選んでいるんだよ。信じられないだろうけど。
クリスマス前から年明けまで、3週間も一緒にいるんだよ。
それにね、実家に挨拶にも来てくれるんだって。
どう?信じられないよね。嘘みたいだよね。ほんと、嘘みたい。
だけどさ、私あまりにも嬉しくて嬉しくて堪らなくて、お母さんにも、妹にも、会社の人にも、今日友達にも話してきたところなの。それでもまだまだ言い足りなくって、だからこうして教えに来たの。
ねぇ、あんなに嫌いだと泣いた年末を、今は待ち焦がれているよ。
きっと一昨年以上に幸せな年末になると思うよ。
そうしたらその次の年はまた去年が幸せすぎたと泣くかもしれない。バカだから、またおんなじことを繰り返すかもしれない。今こうやって浮かれ立っていることを未来の私は恥じているかもしれない。
でも1年も先のことはよくわからないから。
もっと言えば来月のことも、来週のことだって、明日のことすらわからないんだから。
今この瞬間だって。
もう、だからほんとはめちゃくちゃ怖いに決まってるでしょ。